製薬企業が悪いのか?

――1週間後、直利先生とのアポイント当日。くすりは昼休みのフジミメディカルクリニックを訪れていた。
新薬のタブチロンに関する出来たての資料一式と、タブアの適応拡大に関する臨床データを渡す。近々実施予定の勉強会についても「基本的に参加」と返事をいただく。
くすり自身が計画した勉強会。地域包括ケアをテーマの軸に、近隣の開業医に新薬を案内するプランだ。

研究会:
昨今のMRは、販売実績、新規採用軒数、ディテール数、説明会実施回数に加えて研究会・講演会の招聘人数まで評価される。
製薬企業主催・共催の研究会・講演会の数が多くなり過ぎて、困惑するドクターも少なくないが、先生とのコンタクトが難しくなった現状において、説明会とならんで研究会・講演会に出席してもらうことは非常に有効な手段と言える。

「勉強会、『やぶ医院』さんは参加するの?」
藤見先生から出されていた「やぶ医院の報告」という宿題だ。
どう答えたものか考えるくすりの表情をみて、藤見先生は
「さては、こっぴどくやられたのかね?」
「え、いや、はい……ご指導いただきました」
はっはっはっ、と藤見先生は豪快に笑う。
「君みたいな模範的なMRが、どんな指導を受けたの?」
藤見先生が、珍しく話を切り上げない。興味を引いたようだった。
くすりがディオバン事件についての直利とのやりとりを簡潔に伝えると、藤見先生は「ふむ」と一息をついた。
「私にも、君の勉強の成果を教えてくれたまえ。簡潔にね」
正直、直利先生とのいいリハーサルになる。くすりは、自分が至った結論について簡潔に話した。

・ディオバン事件は、究極的には個人がしっかりしていれば防げる問題だと思っていた
・調べると、ディオバン事件は、ノバルティス社の一担当者に帰していい問題ではない
・製薬企業が根本的に持っている性質であり、どこでも起きる可能性がある
・個人の対応ではなく、組織的な対応が必要
・一個人として襟を正すだけでなく、一人ひとりが会社に働きかけねばならない

なるほど、と藤見先生は目を閉じて鷹揚に頷いた。
「本当に、全ての製薬企業とその社員が、当事者として考えなければならない問題でした」とくすりは言った。「しかし、私どもにはその意識が不足していたように思います。その点を、ご指導いただいたのかなと思っています」
「で、君はこれから倍返しにいくわけだ」
そんなことありませんよ、とくすりは笑った。思った以上に良い反応だ。これなら、直利先生でもいける、とくすりは胸をなでおろした。
「私は常々、君のそういう謙虚な姿勢を信頼している。勉強会の予定は早めに頼むよ、御薬袋さん」
「はい、先生。今後ともよろしくお願いいたします」
「返り討ちにあわないように祈っているよ」

肝入りの新薬と適応拡大の資料を受け取っていただく。PCの画面上にはネットMRのアバターが微笑んでいた。必要な情報は、既にそちらで入手済みということだろう。
新薬ではあるものの、同種同効薬がかなり浸透している。明確なインパクトがない段階で、違いを打ち出せないのはつらい。
くすりは少し間をあけて、ディオバンについてまとめたノートを手渡した。直利先生は真剣な目でページを繰ると
「ありがとう。とても丁寧にまとめてあります」
と微笑んだ。もちろん真に受けてはいけない微笑みだが、ひとまず、くすりも「ありがとうございます」と微笑む。
「それで」と直利先生はすぐに言った。
「宿題の答えは出ましたか?」
来た。ここからが本番だ。
「わたしは、ディオバン事件は究極的には個人がしっかりしていれば防げる問題だと思っていました。しかし、それは違います」
「その通りだと思います」
即OKが返ってきた。よし、とくすりは言葉を続ける。
「本事件には、組織と個人が関係しています。そして、この組織と個人の関係は、すべての製薬企業に言えることです。ディオバン事件には、私ども製薬企業が根本的に持っている性質が大きく関係しています」
「続けて」
「ディオバン事件は、ノバルティス社の一担当者に帰していい問題ではない。個人の対応ではなく、組織的な対応が必要ですが、それを会社任せにしていい筈がありません。MRひとりひとりが意識をもって、会社に働きかけねばならないことだと思います。
前回、確かに、わたしは会社の指示から謝罪をしました。弊社を指して『被害者』とまで申し上げてしまいました。先生のお怒りは当然のことだと思います。改めて、心よりお詫び申し上げます」
どうだ、とばかりに見据えた直利先生との間に一瞬の沈黙が過ぎた。
「では、製薬企業が悪いと考えているのですね?」
聞きたい台詞とは異なっていた。
「よく、練られた答えです」
先生の言葉は選ばれていて、結果として皮肉になっていた。宿題は、明らかに正解ではなかった。
冷汗が滲みはじめる。前回の悪夢を思い出す。しかし、ただ黙りこむわけにはいかない。
「わたしが誤解している点があれば、ご指導いただけませんでしょうか」
「誤解してはいないでしょう」
直利先生はそう言って、熱い緑茶をひと口啜った。
「あなたはMRとして真面目だから、気づいていない、いや気づけないのかも知れない」
なにを言っているのかわからない。くすりは、苛立ちを辛抱強く抑え込んだ。
「御薬袋くすりさん」
直利先生は少し顔を近づけて言った。
「あなたは最初から『私ども製薬企業』が悪い、という結論ありきで考えていませんでしたか?」
思わずくすりは息を飲んだ。
「そんなことはありません」
「それは嘘でしょう」
直利先生は即座に否定した。
「内心では私に対してはらわたが煮えくり返っていたにせよ、あなたはこうしてちゃんと調べて、ここにやってきた。真面目に、愚直にやってきたんです。この資料を作りながら、こう思いませんでしたか?

この一連の臨床研究における関係者。とくに、研究者たちは何をやっていたのか?
自分たち製薬企業より、研究者の方こそいい加減で杜撰だったんじゃないのか?
悪いのは研究者じゃないのか?

そうは思いませんでしたか?」
「そんなことはありません!」
「そうでしょう。そう答えるのが正解なんでしょう」
また即座に否定されるかと思いきや、逆だった。
「あなたはMRだから。研究者を、医者を、悪者にできないから。友好関係を保たねばならないから。だから研究者の悪に目がいかない。想像もつかない。私との関係の早期収束を図るためにも、兎にも角にも『製薬企業が悪い』と謙虚で誠実な態度を見せることを大前提として考えていた。違いますか」
くすりは黙った。黙るしかなかった。顔が熱い。
「しかし、残念ながらそれは謙虚でも誠実でもありません。ディテーリングにおいて、自社の薬剤についてポジティブな印象を与えようとするテクニックと変わりません。つまり――」 と一度言葉を切ると、直利先生は、決め台詞のように前回と同じ駄目を押した。
「あなたには、とても大切なものが欠けている。残念ながら私には、そんなMRの言うことは信用することはできない」

・都合が悪い情報
そもそも臨床家にとって、患者の治療に関する薬の情報で、提供されて都合が悪い情報などはない。
臨床家側も情報を批判的に吟味する能力を磨いて、結果として、そもそも隠さなくていい、むしろ隠さない方が得だということが普通になれば、MRも楽になることだろう。

君の会社の製品が臨床試験でプラセボに負けていたっていいんだ。他に使う理由があるんだから。問題は君がネガティブな情報を隠したことだ。

もし、こんなセリフをいわれたら、MRも複雑ではないか。



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