エピローグ

現在。ある夏の雨の日のこと。
直利治一郎は、いつまでたっても馴染まない喪服を着て立っていた。
緊急配信されてきたメールニュースを携帯で確認すると、眉を震わせて、ひそめる。
「よりにもよって、今日ですか」
呟いて、目の前にあるものを改めて見る。

「御薬袋家之墓」

確か今回は13回忌になるはずだ。多忙だったはずの彼女も、さすがに有給を取ったのではあるまいか。
可哀そうに。こんなニュースがあったとなると、法事に集中するどころではないだろう。
――いや。
外に飛び出しているかもしれませんね。なにせ、あなたの娘さんですから。
もっともあなたのように、なりふり構わぬ出鱈目な人ではありませんでしたが。
直利は携帯をポケットにしまい、墓の前にしゃがんだ。
――やっぱり私はやぶ医者でしたよ、御薬袋さん。
あなたを死なせてしまったあとは、メスを握るのが嫌になり、大学病院が嫌になり、ようやくひっそりと開業できたと思ったら、担当MRがあなたの娘さんとは。
そこで、他のMRと同じように淡々と接していればよかったものを、うっかり私情を持ち込んでしまった。
そこで、他のMRと同じように私の相手なんてやめてくれればよかったものを、なまじあなたに似てしぶといものだから、うっかりムキになってしまった。
挙句、何ひとつ残せないまま――つながりを絶ってしまった。
「申し訳ありません」
目を閉じて、うなだれる。
「やぶ医者はどこまでいっても、やぶ医者でした。あなたも、あなたの娘さんも、私を恨んでおられることでしょう」
「そんなことは、ありません」
いつの間にかすっかり耳に馴染んだ、明朗な女性の声が後ろから聞こえてきた。驚いて振り返ると、同時に相手は深々と会釈をする。
「あなたは……!」
「タブチファルマの、御薬袋です」
社名と名前を、はっきりと告げる。そして悲愴な面持ちを上げると
「先生のところで、タブチロンを処方していただいた患者さまはおられますでしょうか」
いいえ、と驚きつつも答え、立ち上がる。
ああ――と御薬袋くすりは思わずため息を漏らす。安心したとは言わないまでも、まずは良かったという本心が零れている。
「先生、恐れ入ります。この度は本当に――」
「謝罪は結構です」と直利は遮った。「皮肉で言っているわけではありません。あなたの誠意は理解しました。ありがとうございます」
早口だが素直に伝えると、御薬袋くすりは直立したまま少し身震いした。
「それよりもあなたがなぜ、ここに」
口にしてすぐ、滑稽だと気付いた。この質問は訊く方ではなくて訊かれる方だ。
「もちろん、父に会いに――ではないんです」と御薬袋くすりは墓を見て苦笑した。「どうやら父は、こんなときに、そんなところでじっとしているような人ではないみたいですから。――先生もご存じの通りかと思いますが」
どうやら、いろいろと知られてしまったらしい。直利は一度天を仰いで
「ではそれこそ、あなたはなぜここに」
「わたしは、タブチファルマの、御薬袋です」
ゆっくりと、繰り返した。
「先生に資料をお持ちしました。少しだけ、お時間よろしいでしょうか」
いかにもMR然とそう言って、カバンから取り出したのは一冊の古びた大学ノートだった。表紙の文字を見て驚く直利の前で、御薬袋くすりは準備万端、付箋を貼っていたページを広げると、差し出した。
その個所に目を通してすぐに
「無茶苦茶だ……」と言葉が漏れた。「まったく、この人は……」
御薬袋くすりは、言った。
「たしかに父が亡くなったのは、当時の代議士先生の手術が優先されて、父の手術日がずれたせいかも知れません。が、ある意味でそれは父が自ら招いた結果です」
「……」
「父に先生を恨ませたりなんか、わたしがさせませんし、恨んでもいないと思います。もちろん、わたしも」
御薬袋くすりはそう言って、もう一度頭を下げた。それを見守りながら、直利はひとつため息をつくと、差していた傘を畳み、空を見上げた。
長い雨が止み、晴れ間が見え始めていた。


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